「勉強しか出来ない」という言葉では無く、「勉強すら出来ない」という言葉を普及させるべき。

 以前これは私がツイートしたことがある言葉なんですが、割と共感してくれる人が多く、
また日が経った今、またその事を感じる出来事が多く起きたので、ここにそれを記そうと思います。

(この記事は現在15分で仕上げた状態の記事です。大きくここから修正を加えていく予定です。)

 最近、某高校で教師に暴行をした生徒が逮捕されたというニュースが流れ、その高校の偏差値はインターネット上では37。
たしかに偏差値だけでは人間性は語れませんが、
明らかに動画内に写っている人たちの人間性が高いとは思えませんでした。

 私も中学生までは公立高校だったので勉強が苦手な子と多く接してきましたが、やはり半数以上は人間性に大きく不足している点はあるな、とおもいました。(無論過去の自分を省みてもそう思いますが。(笑))

 これらの経験などから、やはり学力と教養は高確率で比例すると言えます。

 稀に、勉強できる人が勉強しかしてこなかった、と批判されることがありますが、

勉強できる事を少しでも批判される要素にしてしまう、

その

              「勉強しか出来ない」

という言葉を廃止して、私たちは

              「勉強すらできない」

という言葉を普及させるべきではないでしょうか。

 

そもそも「勉強しかできない」それの何が悪いの?という気もしますが、、あなたは代わりに何が出来るんですか。教師を殴ることですか、未成年飲酒をすることですか、無免許運転することですか、コミュ力(笑)があることですか。

勉強出来るほどに大層なものが、

「勉強すら出来ない」人にある訳ないでしょう。

 

 ところで、勉強できない人達が、学歴以外の面で自分の能力をアピールする!と言っていますが、何故そういう人たちは学歴以上に自分たちが評価されると勘違いしているのでしょうか。

 

 「勉強すら出来ない」人たちに他のことができわけがないでしょう。勉強する時間を捨ててまでスポーツにのめり込む人はいます。そういう人達全員を批判するつもりはありません。

 

 しかし勉強する環境を与えられ、教養を身につける時期に、その必要性を認知せずに遊び呆ける人間に、高級な仕事ができるわけがありません。(根拠書く必要ないよね)

 

 そもそも勉強の大切さを分からない、その時点で愚かなのに、まして勉強をしないという時点で頭の中はお花すら咲いていないでしょう。
 

国語を学ぶことで日本語を組み立て、自分の考えを深く正確に相手に伝える。

 

数学を学ぶことで情報処理力、論理力を徹底的に身につける。

 

理科を学ぶことで結果から考察し、社会で過去の出来事を正確にまとめ、人間社会にある命題を解決していく。

 

これらの能力を抽象化し、一般的に行使することで実生活に役立てていく。


こんな素晴らしい勉強→生活への応用のシステムを分からないアホは、この発達した社会の汚点でしかありません。


私からしたら勉強しない時点で罪とさえ言えますよ。


勉強しないのは当人の自由ではありません。

もはや発達した社会の一員として活動するなら、その社会に求められたことはこなしていく必要があります。


それが出来ないなら太平洋に新しい島でも見つけて放浪と生きてくださいといいたい。

社会の邪魔ですからね。(社会の恩恵は受ける癖に、その社会に貢献しないのですから)

 

 日本の研究者は経済的な負担が多く、政治的にも後押しされない状況にあります。
日本の学び屋に対する接し方はとても先進国のそれとは思えません。

これからの時代、必要とされるのは、勿論教師を殴る馬鹿な生徒でもなく、コミュ力しか無い人間でもなく、話が上手いだけの人でもなく、
勉強が出来る人間とさえ言えます。(情報が混沌としたこの世の中では更に)

 

「勉強すら出来ない」人は即刻本国から立ち去り、「勉強が出来る」人間を崇めていきましょう。

勉強できる人間に栄誉あれ!!