数学は美しい? 人間の美意識について。

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(誤字探しをしていない状況です。後にやっていきます。)

 

私は現在とある予備校で浪人生活を送っているのですが、

そこで某物理講師がおっしゃっていた事に少し考えさせられることがあったので、今回その事について綴っていきます。

3ヶ月半前ごろに数学は美しいという事に関してほんの少しだけ書いた記事があるのですが、

その記事の付け足し、といった形になります。

 

#1では、社会や人間関係など、不正確で常に答えがあるとは限らないとい。
それに対して、数学には必ず答えがある。
そこが美しい。

というお話をしました。

 

さて、今回のお題は

【人間の美意識は絶対的では無い。】

といったところでしょうか。


本題に入っていきます。

(某物理講師以下K氏とします。)

唐突ですが、K氏が話したことをまとめていきます。

内容は将棋から入ります。

1,スーパーコンピュータvsプロ将棋士の戦いで、人間が考えもつかないような駒の指し方でスーパーコンピュータが圧勝をした。

2,コンピュータは熱力学的にも10^23(アボガドロ数)といった莫大な情報量を処理することは出来ない。
しかし将棋のパターンはそれを超える。
つまりコンピュータと言えど確実に勝つ方法を模索することは出来ないということはこの勝負に前提としてある。

3,そもそも人間は人間が美しい手だと思う駒の指し方を沢山の勝負の中で無意識的に身につけていって、その美しいと思う駒の指し方をして、人間対人間の勝負を行なってきた。

4,しかしコンピュータはその人間がまず考えもつかないような駒の指し方をしてきた。(≒人間からしたら醜い指し方)

5,結果としてコンピュータが勝った。

6,これは人間の美意識というのは絶対的なものでは無いことを裏付けるのでは?(コンピュータの美しさとは別物であると言えるから。)

7,物理学者や数学者は常に真理を美しく尊いと思い、それを追究してきたが、その真理は人間のみの美意識の元にしかあり得ないのでは?

 

ざっとまとめるとこんな感じです。

(僕の解釈も大きく入ってるので、K氏の考えていることとは少し違うかもしれませんが。)

 

私は、これを聞いて

数学は絶対に答えがあるから美しいと考えるのは(#1)、人間は社会など不確かなものを見つけることを恐れ逃げた結果、独りよがりな価値観に篭ってしまっているからなのではないか。

という疑問を持ちました。

それに加え、人間の視点なんてまず当てにならない、とも思いました。

確かに人間は物理学などによって原子力発電などの数多な文明をもたらしたが、

福島の原発事故など結局それは人間の制御下に抑え込めないものであった。

人間は結局真理には到達できないのか、また、結局人間の視点なんて間違いだらけなんだな、、と。

ここで言いたいのは勿論、科学を絶対視するなということを必要条件に含みますが、

それよりも

私が以前話した、

【人生哲学における真理・摂理】

というのは議論の進め方も何から何まで、

全て不確かなものになってしまった。ということを意味します。

 

皆さんの中で生きる意味、生きる糧になっているもの、

本当にその価値観は、絶対的なものたり得るでしょうか。

むしろ、相対的だからこそ良いのでしょうか。

是非思いついた考えがあれば教えてください。