人生哲学を考える上で。「人は死なない」矢作直樹著書

(この記事は後日編集する予定です)

basilico「人は死なない」「人は生きる」
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を読みました。

その本の感想、それと、それを元に

【人生哲学】(今回はなぜ生きるのか、何を元に生きていくか、という点に絞ります。)

について語っていきます。

まず、人生哲学とは何か、その疑問がある方は、すぐにこのページを閉じた方がいいかもしれません。

人生哲学は一度その思考を経験した人間には、用語を知らなくても、おそらく誰もがこの言葉で通じるようなことですので、

知らないという方は、無理にこの思考の世界に迷わぬようにして頂きたい。(とても大事なことだが、誰かに啓発されて考えるべきなのか、私自身で分かっていないので)


〜本文〜


自分の目標、将来の夢、自分のやりたいこと、自分の天職、

そういうものが何か分かっていないから、自分は何かに没頭することができない。そういう人は多いと思います。

GRIT やり抜く力(ダイアモンド社)
に書いてあることを私なりに軽くまとめると、

天職とは、

ー 目標(天職に就く、天職で活躍するなど)を達成しようとした時に、どんな大きな苦難があって、そこで諦めかけそうになっても、絶対にその目標を諦めずに頑張れる職 ー

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自分の目標をしっかり定める。

このことが、天職につく、目標を達成するためには必須となるわけですが、

もっと考えすぎることで、

『人はいつか必ず死ぬ、それなのに何故何かを目標にするのか、そもそも何故人は生きるのか』

という結論に至ることはあると思います。

先に結論を言うと、普通に考えて、それは絶対に答えが出ることではありません。

だから、何故人が生きるのか、という疑問を持つことは全くの意味のないことになります。

しかし、そうとは分かっていても、心のどこかでその目的を探し続け、果てには苦悩し続けた結果、自殺に至るというケースもあるようです。

しかし、この考えは破綻してしまっているんですよね。
自分の生きる理由が無いから、それが死ぬ理由にはなりませんからね。

自分の生きる理由が無いなら、自分が生きる必要は無いが、それは死ぬことと同値ではない。(「生きる」の対義語を「死ぬ」と一概に出来るとは言えないという話)

ので、人が生きるのに理由が無いというのは結論として先にあげました。

「人は生きる」には生きる理由をこのように結論付けています。

〜摂理に思いを馳せることによって、私たちが生まれ、生かされていることの意味を少しでも自覚し、一見苦悩に満ちているように思われるこの世界であっても、生きている間は一日一日をしっかり生きようとしなければならないのではないのでしょうか〜

この意味ですが、

人は生まれ、そして死ぬという過程を必ず通りますが、

そもそも何故そのシステムができたのか、誰がそのシステムを作ったのか、

そのつくった存在を「神」と呼ぶものもいますが、

筆者の矢作直樹は「摂理」と呼んでいるわけです。

その摂理は私たちの考えでは到底理解できるものでは無いが、

私たちはその摂理に従わなければならない。

そう結論付けて、おそらくですが、

これが筆者の人生哲学となったものと思います。

私も、生きる理由を探し続け苦悩した旅人の1人ですが、この本を読むことで早く決着をつけてしまおう!と思ってしまいました。

しかし、今思うと何故決着をつけようとしたのか、おそらく、

「今自分の目の前にある課題に没頭しなければならない」

それを分かっているが、自分を納得させきることができないから、決着をつけようとしたのでしょう。

その時点で、矢作直樹からすれば、私は摂理に従って生きていると言えるでしょうが、

私が今回、この命題で出した結論は少し違います。

私が出した、この点での人生哲学は

『その摂理を解明するまでは死んではいけない。仮に解明でき、それによって生きる価値が見つからなければ死ぬ。』

となりました。

先にその摂理は私たちの理解では及ばないと言ったので、私は死ぬまで生きる理由も死ぬ理由も理解できないことになるが、

この摂理に対する好奇心は、死ぬまで絶対に失ってはいけない、その好奇心を満たすために生きるべきだと思います。

鋼の錬金術師のグリードが言っていますが、「ありえないなんて事はありえない。」
摂理が理解出来ないなんてことはありえないんですよ。

その人間の可能性にかけて、自分の人生を生きる。

何か大きな可能性を目標に生きる事で、必ずその目標を達成するために行動を起こせるからです。

筆者のように摂理に従って生きましょうとしてしまうと、結局のところ、割り切りなさいという考えに肉付けしただけであり、本質的に「生きるための理由作り」の解決策とはなっていると言い切れません。(ここがこの本に対する否定する部分)

それが私がこの「人は死なない」「人は生きる」


を呼んだ上で出した結論となります。

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(因みに、ありえないことがありえないことを証明することは「悪魔の証明」と同義になるでしょうから、私の出した結論は結局、悪魔の証明に頼ってるとも言える)

最後まで読んでくださり、有難うございます。