人生哲学を糧に。

以前、「人生哲学を考える上で」

 

というタイトルの記事を書きましたが、

 

そもそもその人生哲学を糧に何をしていけばいいのか、

 

それを伝え損ねていたので、この場で補足していきます。

 

そもそも、人生哲学を考えた理由は、前回の記事を元にすると、

 

自分の生きる方針が無いと、所謂「天職」「学問」その他諸々に対して、全て無気力になってしまうことがある。

 

という点を改善するために、自分の生きる方針を定め、それに向かって行動しやすくするため。

 

という感じでした。

 

つまり、人生哲学や座右の銘でもなんでも良いでしょうが、自分の方針となる軸を作ったら、その後はどう行動すべきか。ということですが、

 

ここで哲学的な話は終わりますが、

 

・実用的なことに全力を注ぐ。

・毎日苦痛を味わうことなく生きていく。

・怠惰に生きる。

 

など、それぞれ、哲学を考えない上で、自分が一番"幸せ"になれることに、行動するべきなのかと思います。

 

(不幸になることが最大の幸せとか思う人ももしかしたらいるかもしれませんが、、)

 

前回にも述べましたが、人はいつか必ず死に、その中で生きる方針を決めたところで、意味がないようにも思えますが、

 

人類が誕生してから大きな年月がたっていますが、

 

未だ人間は進歩し続けようとしているし、

 

誰も進んで命を絶とうとする人はいません。(自殺をしたくてする人は、滅多にいないと思います。)

 

なので、その摂理に従って、また人生哲学をしっかり把握した上で、

 

一見無意味な実用的なことに全力を注ぐ事が、結論として幸せに生きることになると、そう思います。

 

(社会のレールを馬鹿にする人も多いし、私もここ数ヶ月前まではそう思ってましたが、その中で生きることも、とても聡明な生き方であると思います。)

人生哲学とは。人生哲学を考える上で。「人は死なない」矢作直樹著書

(この記事は後日編集する予定です)

basilico「人は死なない」「人は生きる」
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を読みました。

その本の感想、それと、それを元に

【人生哲学】(今回はなぜ生きるのか、何を元に生きていくか、という点に絞ります。)

について語っていきます。

まず、人生哲学とは何か、その疑問がある方は、すぐにこのページを閉じた方がいいかもしれません。

人生哲学は一度その思考を経験した人間には、用語を知らなくても、おそらく誰もがこの言葉で通じるようなことですので、

知らないという方は、無理にこの思考の世界に迷わぬようにして頂きたい。(とても大事なことだが、誰かに啓発されて考えるべきなのか、私自身で分かっていないので)


〜本文〜


自分の目標、将来の夢、自分のやりたいこと、自分の天職、

そういうものが何か分かっていないから、自分は何かに没頭することができない。そういう人は多いと思います。

GRIT やり抜く力(ダイアモンド社)
に書いてあることを私なりに軽くまとめると、

天職とは、

ー 目標(天職に就く、天職で活躍するなど)を達成しようとした時に、どんな大きな苦難があって、そこで諦めかけそうになっても、絶対にその目標を諦めずに頑張れる職 ー

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自分の目標をしっかり定める。

このことが、天職につく、目標を達成するためには必須となるわけですが、

もっと考えすぎることで、

『人はいつか必ず死ぬ、それなのに何故何かを目標にするのか、そもそも何故人は生きるのか』

という結論に至ることはあると思います。

先に結論を言うと、普通に考えて、それは絶対に答えが出ることではありません。

だから、何故人が生きるのか、という疑問を持つことは全くの意味のないことになります。

しかし、そうとは分かっていても、心のどこかでその目的を探し続け、果てには苦悩し続けた結果、自殺に至るというケースもあるようです。

しかし、この考えは破綻してしまっているんですよね。
自分の生きる理由が無いから、それが死ぬ理由にはなりませんからね。

自分の生きる理由が無いなら、自分が生きる必要は無いが、それは死ぬことと同値ではない。(「生きる」の対義語を「死ぬ」と一概に出来るとは言えないという話)

ので、人が生きるのに理由が無いというのは結論として先にあげました。

「人は生きる」には生きる理由をこのように結論付けています。

〜摂理に思いを馳せることによって、私たちが生まれ、生かされていることの意味を少しでも自覚し、一見苦悩に満ちているように思われるこの世界であっても、生きている間は一日一日をしっかり生きようとしなければならないのではないのでしょうか〜

この意味ですが、

人は生まれ、そして死ぬという過程を必ず通りますが、

そもそも何故そのシステムができたのか、誰がそのシステムを作ったのか、

そのつくった存在を「神」と呼ぶものもいますが、

筆者の矢作直樹は「摂理」と呼んでいるわけです。

その摂理は私たちの考えでは到底理解できるものでは無いが、

私たちはその摂理に従わなければならない。

そう結論付けて、おそらくですが、

これが筆者の人生哲学となったものと思います。

私も、生きる理由を探し続け苦悩した旅人の1人ですが、この本を読むことで早く決着をつけてしまおう!と思ってしまいました。

しかし、今思うと何故決着をつけようとしたのか、おそらく、

「今自分の目の前にある課題に没頭しなければならない」

それを分かっているが、自分を納得させきることができないから、決着をつけようとしたのでしょう。

その時点で、矢作直樹からすれば、私は摂理に従って生きていると言えるでしょうが、

私が今回、この命題で出した結論は少し違います。

私が出した、この点での人生哲学は

『その摂理を解明するまでは死んではいけない。仮に解明でき、それによって生きる価値が見つからなければ死ぬ。』

となりました。

先にその摂理は私たちの理解では及ばないと言ったので、私は死ぬまで生きる理由も死ぬ理由も理解できないことになるが、

この摂理に対する好奇心は、死ぬまで絶対に失ってはいけない、その好奇心を満たすために生きるべきだと思います。

鋼の錬金術師のグリードが言っていますが、「ありえないなんて事はありえない。」
摂理が理解出来ないなんてことはありえないんですよ。

その人間の可能性にかけて、自分の人生を生きる。

何か大きな可能性を目標に生きる事で、必ずその目標を達成するために行動を起こせるからです。

筆者のように摂理に従って生きましょうとしてしまうと、結局のところ、割り切りなさいという考えに肉付けしただけであり、本質的に「生きるための理由作り」の解決策とはなっていると言い切れません。(ここがこの本に対する否定する部分)

それが私がこの「人は死なない」「人は生きる」


を呼んだ上で出した結論となります。

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(因みに、ありえないことがありえないことを証明することは「悪魔の証明」と同義になるでしょうから、私の出した結論は結局、悪魔の証明に頼ってるとも言える)

最後まで読んでくださり、有難うございます。

【ドラゴンボール超】悟空がバカすぎる件。マジで公式は何がしたいの???

こんにちは。

 

皆さんドラゴンボール超を見ていますか?

 

皆さんの中で、ドラゴンボールZなど、原作から読んでいる人はすぐに気づいたと思いますが、

 

悟空がバカキャラになっている....

 

先日の78話でかなり酷くなっていて、流石に堪忍袋の尾が切れたので、こうして記事にしています。

 

私は原作を35周以上も読んだ、生粋のZ信者なのですが、勿論無印やGTさらには同人のAFなどなど、あらゆるドラゴンボール系統の物には手を出しています。

 

そんな私ですが、GTや改(さらにはAF)でのちょっとした設定変更は仕方がないかなと目を瞑るくらいには寛容だとは思っていたのですが、

 

今回の超の悟空のバカキャラ化は、もう流石にありえないですね。

 

未来トランクス編での、

 

仙豆を食べまくってザマス(敵)を倒す!

 

って言った時にも、あれ?と感じていたのですが、そろそろ公式やスタッフは真面目にやってるのかと、

 

そう問いたくなるくらいに舐めきってますよね。

 

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(↑Twitterで検索すると出てくる。とても悲しいです。)

 

 勿論年齢が上がり、性格なども少しくらいは変化するとは思いますが、あれは流石に無いですよね....

 

1,かっこいいセリフを何一つとして言わなくなった。

 

悟空は純粋無垢の戦闘バカ!

という見方は勿論正しいと思うのですが、

別に人間としてバカだった感じではありませんよね。

しかし今のドラゴンボール超ではどうでしょうか、皆さんの中に心に残るほどにグッとくる台詞、ありましたか?

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 (今の悟空がこんな台詞言うと思いますか?絶対に言いませんよね)

 

2,明らかに空気の読めない人間になっている。

 

全王様と会うたびに

「全ちゃん!!全ちゃん!!」

と叫び続ける悟空。まるで神様に一ミリも敬意を払っていない感じですね。

Zでも界王神様に敬意を払っているようには見えなかったので、その辺は良いのですが、

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空気を読むということは一ミリもしなくなりましたね。

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(↑時系列的に進んでいるし、これを空気読むってことにはならないかもしれませんが、常識は全然ありますよね。)



3,明らかに(学術的にも)偏差値が下がっている。

 

言わずもがな、頭悪いですよね。

クリリンが警察として強盗犯と戦っている時、その光景を見てすぐに状況を理解できないなど.....

 

過去の悟空は別に頭がとても悪かったわけではありません。

 

あくまでも純粋なだけでした。


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(↑未来のことも見据えて考え、更に責任感もある)

 

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(↑子供達の対応もバッチリ)



 

 

皆さんどうでしたか。

 

これ以外にも沢山意見はあると思います。

 

ですが、これだけは言えると思います。

 

《昔の悟空の方が絶対にカッコよかった》

 

もし読んでいる皆さんの中で、超は流石に....と思い、変化を望んでいるのなら、このブログを是非、公式スタッフ様に届くように、拡散してくれたら幸いです。

 

皆さんの力でかっこいい悟空を取り戻しましょう!!

 

皆!オラに力を分けてくれ!!

 

 

 

 

 

 

幼女戦記 6話 感想 世界大戦の始まり! (分煙を推進しましょう)

初めて、やっとリアルタイムで観たぞ....

 

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 6話、戦闘シーンがかなりかっこよかった.....


あの、魔法?を使う時の青いやつが、今回かなりいい感じになってて、胸熱だった。


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そして、


数話ぶりに存在Xの登場。


やはり、存在Xは物語の軸となる役割を持ちそうですね。f:id:hi-gym-st:20170211013548j:plain

(青いやつ↑)


信仰をしないと95式は使えないようになっていますが、


あんな適当な言い方でもオッケーなんですね笑



全体的に、戦争前の各個人の様子をしっかりと描写できていて、とてもよかったと思います。

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ED後の茶番は毎回やるのかな?笑

(↑可愛い)


けものフレンズを見たよ!!

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すごーい!!

 

面白かった!!

 

僕は楽しめるフレンズなんだね!!

 

カフェは勉強する場所ではない? 老人たちのうるさい会話について

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 私は学習するときに、図書館や公民館などの公共施設以外に、カフェを利用することが多いのですが、


ずっと気になっているのが、カフェで大騒ぎしている老人たちです。


カフェはコーヒーを飲む場所!そもそも勉強はするな!とはよく言われるようなことだとは思いますが


私の中で、カフェは過密した日本で、パーソナルスペースを確保できる場所だと思っています。


故に、そのパーソナルスペースの中で快適に自分なりに過ごすというのが、正しい?とまでは言えませんが、美しい利用の仕方なのかなと思います。


ので、大声で騒いで、他者に迷惑をかける老人たちには、正直即刻退店して欲しいなと思ってしまいます。


しかし、今日老人たちのうるさい話を隣で聞いていたときに一つわかったことなんですが、


4人で会話していると思っていたのですが、

4人が話の主体で、客体が1人もいないんですよ笑(誰も話を聞いていない)


ここから、老人たちは自分の話を話す機会を得るためだったりとか、話すことで孤独感から逃れるためにやってるのだろうなと思いました。


つまり、もっと端的にいうと、老人は暇なんですね。


なので、社会で老人たちの深い知識を提供する場を設けたり、


最近無くなりつつある、子と老人の冗談関係を復刻するための何かを設けたりすれば、


割と万事解決するのかなと思いました。


けど、具体的な方策は何も思いついていないですけど(汗)


けどそのためにも、老人たちには、

「最近の若者は」

とか言うくせに、モラルが一ミリもない人間にはならないように、


学生を辞めた後もしっかりと勉学に勤しんで欲しいものですね。

音声認識?いらねぇだろ! 音声認識不要論について。他に必要なものは?

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最近、音声操作が流行り始め、各業界でその勢いが増そうとしてます。

 

しかし、そもそも本当に音声操作は必要なの??

 

公共の場でイヤホンから通話してる人を見ると、

 

うわ、あの人独り言いってるよ。

 

みたいに思ってしまう時がありますよね。

 

Siriとかを使うときは、自分の目的がはっきりと他人に伝わってしまうことをOKと認めたときにしか使えませんよね。

 

メリット、デメリットを私なりにまとめて見ました。(画像)

 

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こう見ると、主観過ぎかもしれませんが、

音声認識....いらねぇなぁ.....

 

個人的には音声操作をより強力にすればかなり需要が高まるとは思いますが、それにはかなりの資金が必要になりそうです。

 

例えば、言葉に書き起こすのが難しく、概念としてどうにかして伝えようとするとき、それを全て理解して、人間と会話するように高性能なAIを作れば、それは私も今すぐ欲しい代物になります。

 

100年前には絶対に不可能だと思われたことが、今では当たり前になっている。

 

とは言いますが、それがこの先100年続くとは限らないんですよ。

 

音声認識なんてすぐ出来そう、とか思われる程度のことに全身全霊をかけて発達を挑むより、

 

タイムスリップとか、「いや絶対に出来ないだろ!」と思われるようなことを研究しないといけないと思います。

 

(基礎研究にもっと金出せアホ政府)